goodbye, you were bigger than the whole sky


「推し活を始め、推しに認知され、SNSをブロックされるまでの1年半」というnote記事が話題になっているので読んだ。






話題になったことで、このファンの方は自分の間違ってる部分に気付いた、という記事を昨日書いていたので、批判している人はちゃんとそこまでセットで読んでほしい。んー、結構考えさせられる記事でしたね。sns上では大半がこのファンの方に対する批判で、まあ確かに愛を押しつけてるような行為をしてたみたいだから良くないというのは大前提なんだけど、皆この方を頭ごなしに批判できるほど素直?に“推し活”できてるんだなと思ってすごいと感じた笑。個人的に、だんだん目が合わなくなった、って文章が哀しくて、そりゃsnsで文句をぶつけまくってたみたいだから、本人からしたら目も合わせたくなかっただろうけど、良い状況から悪い状況に変わっていった、ってことがすごくよくわかる文章だった。推し、って言葉、商業的になりすぎてるから最近あんま好きじゃないんだけど、むずいよね、“推し”の応援って。このファンの方が本人に言った批判の内容とか、何通送ったかとか、全部把握してるわけじゃないからわかんないけど、応援してる対象を全肯定するのは私も気持ち悪くて好きじゃないから、推しにあれこれ言うな!って言い切るのも正解ではない気がする、言い方に注意するというのは当たり前だけどね。これはまた全然違う話になっちゃうかもしれないけど、サッカーの堂安律選手が自身の本の中で、「W杯がベスト16に終わった時、多くの国民の皆さんから感動をありがとう勇気をもらいました、と言われたけど、これがブラジルだったらベスト16なんて大バッシングだったと思う。自分がサッカーをすることで人を勇気づけられるのはありがたいけど、正直もっと怒ってほしかった。なんでもっと上に行けないんだ!と言ってほしかった。じゃないと一生伸びない」、みたいなことを書いてて、まあ堂安選手はだいぶ特殊だし、国を背負ってのスポーツだからまた違うんだと思うけど、こういう考え方もあるんだな、とこの本読んだ時だいぶ目から鱗だった。だから多少の意見、は大事な面もあるのかなと思う(でも何か言った側は全肯定マンにバッシングされる、この流れがもうだるいね)。まあとにかく、多分問題は距離感がバグってることだと思うね全部、snsでも推しと話せるし、この方みたいにライブに行ったら会ったりできて認知してもらえたりすると、勘違い?期待?する人もやっぱいると思う。ファンっていう集団の一人として見られたまま話したりし続けるなら良いだろうけど、ファンの〇〇さん、として知られたい!って欲が出たらもう終わりだし、今回の件はそのラインを超えて進みすぎた故だろうなと思った(私も認知されたいって思ったこと過去にあるから、これに関してはこのファンの方にあれこれ言えない)。批判とかしてなかったとしても、人気が出たら距離もだんだん遠くなって目も合わなくなって、「寂しい、昔は〇〇だったのに」ってなって結果批判というか文句を言うことになってたかもしれないから、最初から認識されたいなんて思わないことがベストだね。このファンの方の昨日書いてた記事も読んだけど(これがめちゃくちゃよかった)、最近別の方のライブに行って、ライブ後に会えるチャンスがあって一緒に行った友達は写真を撮ってもらってたけど、自分は遠くから見守るだけにした、これくらいの距離感がいい、って書いててちょっと泣いてしまった。そうなんよね、有象無象のファンとして応援してる方が幸せだし楽だよ、私は一生Avrilに知られなくていいよ。このファンの方、まだ20歳とかだし、自分がきつくない方法で誰かを応援してほしいな、応援する才能というか誰かを一生懸命好きになってそれを言語化する能力はずば抜けてると思うので、また良い記事を書いてほしい。彼の幸せを願って、こっそり私はこの方を応援します





(今日のタイトル: bigger than the whole sky/Taylor Swift)



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